3年と少しぶり 再始動するか、しないかを決めるその一歩

少し勉強をしようと思う
期間としては2週間はやる予定だ
何か特別な出会いがあったわけでも、大きな環境の変化があったわけでもない
高校で辛い思いをして以降、今だに人との交流がある大学や専門学校には行きたくないし、この生活自体は楽しいから続けたい
ただ、このままでいいのかと思った 
今の俺は何も目指していない 
執筆はもちろん、ヨーヨーやゲームすらやってないから、本当に時間を消費するだけで向上心の欠片もない 
燻ってるとしかいいようがない

何かを変えたい、そう思った
なら、勉強でもしてみるかと思った
我ながら安易な選択だと思う
重複するが、劇的な出会いもなかったし、何かに突き動かされたわけでもない
ただ、急にやりたいなと思い、どんどん増幅していっただけ 
まぁ、高校生の時と違って周りの人たちが勉強してないから周りに流されているって感覚がないのも大きな影響だ
勉強することが社会への反抗になる年齢になったと思っているのかもしれない

現実なんてこんなもんだと思う
家から追い出されたわけでも、劇的な出会いがあったわけでもない
何か言われたわけでも、自己啓発本を読んだわけでもない

やっぱり大学に進学することを受け入れられないし、今までが全て無駄になる気がしてやる気が起きなかった  
それでも短い期間とはいえ勉強するって決めてる時点で、現状の生活にも満足してないし、親にも申し訳なく思っているのだ
勉強っていう安易な選択を取らざる得ないほど俺はなにもできてないし、追い詰められているってことでもある
結局のところ、何の実績も残せてない
俺は人生のオナニーをしていただけなんだろう
あと、受験勉強しなかったことがずっと引っかかってるのも事実
俺は一生、高校生活を舞台にしたものを描けないかもしれないと

勉強を一切しないことが誇りとまではいかないけど、意地になっていた
そこは認めないといけない、というよりとっくにわかってた
大学に行かないために勉強しなかったのにそれが誇りになってしまうのはおかしい
手段と目的が入れ替わってる
人と違うことをすることに喜びを感じる部分のほうが強いが、道を外れて何も感じないわけではない
二律背反のようにみえて双方を持ち合わせているのはそこまでおかしくないとは思う
結局気狂いではなかった

これまでも2回勉強しようかと思ったが、大学進学の恐怖がちらついたのて三日坊主に終わった
だから、高2からいまだに俺は無勉が意地になっている
だが、勉強を二週間もしてしまったら、もう勉強をしてこなかったなんて言えなくなるし、そんなちんけな意地も消えてなくなるはずだ
だから、二週間は勉強しようと思う
そもそもこんなことに意地になってる時点で自分の残してきた結果が目に見えないものしかないのだと実感する
予定というか理想では、作家として食っていくはずだった
でも、今の俺は違う
だから、何かを変えたい
安易な選択でも変わりたい


これからは多少辛いことがあってもその時なりたい自分になるために、それ以外を捨てるのではなく、他のことも仕上げる意識を持って生きていきたい
可能性を自分で潰すのはもうやめよう
30歳になるまではひたすら人生経験を積むことに注力する
その上でまだやりたいと言うのなら




今までが下積みだったと言えるように







 


自分でも香ばしい文を書いてしまったなと思う
まぁ、誰も見ないと信じてこのまま公開する
こんな文を書いておいてあれだが、良くも悪くもここまで臭くはない
所詮パンピー

心のどこかで、いや 
もっと大きなところで、この生活を好ましく思っている 
まぁ、中学時代から一人になりたいってずっと思ってたから当たり前なんだけど

正直、家にいたいがために、勉強をすることで周りを納得させようとしてるだけかもしれない
勉強をして、あと数年、その期間を伸ばそうとしているだけかもしれない
勉強ができなくなったら、家でできる仕事をどうにか身につけてでも家にしがみつくかもしれない
意地でも部屋から出ないかもしれない
ただ、両親を、親を悲しませたいわけではない
それでもと言い続ける
後ろ向きな理由だとしても

いずれ、人と関われるように